「ネバーランドより」子ども啓蒙するということ

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 「子どもを啓蒙する」という言い回しはあまり聞いたことがない。おそらく子どもは「啓蒙する」対象ではなく、「教育」するものなのだろう。

 学校で教鞭をとり、自宅で学習教室を開いている筆者は、おそらく「教育者」のはしくれ、ということになるのだと思う。事実自分でもその自覚をもっている。そして、その意味においては、教育現場では生徒とは一線を画している。子どもや学生は「教育」されるべき存在であり、教師はその手助けをするのが仕事である。打ち解けあうことは必要だが、然るべき距離は守るのがよいのであり、学校で教師と生徒が友達づきあいをする必要はない。三人の娘の母親としてもまた同様である。愛情深く、仲のよい親子でありたいとは思うのだが、親として、子としての立場を超えてはならないとも思っている。親と子は対等ではなく、親は子どもを「育てる」役割をつとめなければならないのだから。

 しかし「文庫のおばさん」ということになるとどうなるのだろう。「教育者」「養育者」は突然肩身がせまくなる。文庫には「教育」をもちこむべきではない、というプレッシャーを内からも外からも強く感じてしまう。文庫の中ではおとなは子どもよりもえらいものではなく、「小さな本の部屋」は学校や家庭をはなれた「自由の場」でありたいと思う。教訓が鼻につく本は排除して、子どもがのびのびと空想をめぐらせることができるような環境をつくりたいと心から思う。そのためにも、「文庫のおばさん」は、子どものじゃまにならず、それでいて必要とされるような、そんな存在でありたいと願っている。

 「ムーシカ文庫」を主宰していた児童文学作家、いぬいとみこ先生の文庫活動の記録『ムーシカ文庫の伝言板』を編集していたときのことである。出版にあたっての序文を書くことになって、何を書こうかさんざん迷った挙句、私はたいそう大上段に構えた文章を書き上げた。今思うと、いぬい先生の業績の偉大さが読者に伝わるようにという意気込みと、すべての文庫関係者を代表して、という気負いとではちきれそうになっていたのにちがいない。

 その原稿を、文庫でさいごまで世話人の重責を果たしてくださっていた絵本作家のきのしたあつこさんに見せたところ、たちどころにお叱りを受けた。
 「こんなおおげさな前書きを陳腐な言葉で書きたてるのではなくて、あなた自身の思いを署名つきで書きなさい。」
 そう言われて頭を冷やし、心を鎮めてもう一度白紙のファイルに向き合ったとき、私はいつしか責任重大な「卒業生代表」ではなく、「文庫の子ども」の一人にもどっていた。あそこは誰からも何も強制されず、束縛もされず、気ままに好きな本を開いては閉じることのできる、至福の空間であった、ということを、からだ全体で思い出していた。そして不思議に軽やかな気持ちで筆が進み、最初に原稿を書いたときの半分ほどの時間で一気に最後まで書き上げてしまった。こちらの文章に関しては、きのしたさんは、
 「こんどのは正真正銘『あなたの文章』だから、私はとやかく言いません。」
 とだけおっしゃった。そしてその文は出版社の編集長の手を経てそのまま本の序文となり、はなはだ個人的なことを書いたにもかかわらず、他の文庫生の賛同を得、また、文庫以外の読者にも共感をもっていただくことができた。

 ただ、この自然体で書き改めた新しい文章を推敲するにあたっても、意識的に気をつけたことがひとつだけある。それは、「子どもに本を読ませる」という言葉を使わないようにする、ということだった。
 最初の原稿を見せたときに、きのしたさんが一番反応したのがこの言葉だった。「読ませる」という言葉は、いぬいさんはじめ、私たちが最も嫌った言葉なのよ…それを聞いた瞬間、私は「文庫の子ども」全体が「まもられていた」ことに気がついたのだった。
 文庫の「自由な空間」は、決して「野放しにされた状態」ではなかった。おとなたちはそこで細心の注意を払い、私たちにそれと気づかせないように空間を手入れし、整え、まもっていた。決して無菌状態にするわけではないのだが、厳選された本だけをそろえ、流行に迎合することなく、それでいて子どもに読書を強制するのではなく、やってくる子どもたちを、両手を広げて迎え入れられるように最善を尽くしてくれていたのだった。そしてその「最善」とは、「最良の本をそろえる」ことにほかならなかったのだと思う。

 宝石店の主人は、新入りの店員に鑑定の力をつけさせるために何をするか、という話を聞いたことがある。答えは「ただただ本物だけを見せ続ける」というのである。本物しか見たことのない人は贋物を見分ける力がつくのだそうだ。わざわざ本物と贋物を並べてくらべるのではない。本物の識別の仕方を口で教えるのでもない。ただ常にその人の目の前に本物を置き続けるだけで、人は「本物を知る」力を身につけるそうなのである。

 本もそれに似ている。
 手の届くところにすぐれた本だけが置いてあれば、おのずと子どもは本物を知るようになる。「玉石混淆」の中から粒よりのものを選び出せるようになるのはもっと先の話で、無防備で白紙状態の子どもには、やはりおとなが良いものを並べ、良い環境をつくってやらなくてはならないと思う。それを私はあえて「子どもの啓蒙」と呼びたい。使うには少々度胸のいる言い回しではあるけれど。「教育する」のではなく、「強制する」のでもなく、「啓蒙する」のである。
 子どもの読書にはやはり何らかの道をつけてやらなければいけないと思うし、ある程度手厚く心を配らなければならないことは確かなのだが、教壇の上からものを言うようなやり方であるのは最もいけないことだと思うからである。

 ひたすらに良い環境を作り、ただただ読書の喜びだけを伝えて行く…。そのようにして「啓蒙された」子どもたちはどのようなおとなになったか。
「文庫一期生世代」を自負する私たち四十代は、今、それぞれに自分の持ち場で生き生きと働いている。

 三々五々文庫に集まり、てんでに本を読んで過ごしていただけのばらばらだった文庫生は、文庫を去って二十年あるいは三十年の月日を経てから、いぬい先生の葬儀の場で初めて一堂に会し、顔を合わせた。そのときに、互いに年齢も性別も職業も異なる者同士なぜか意気投合するところがあったのは、もちろん過去に同じ本を読んで育ったという連帯感が基調にあることは当然だが、決してそれだけだったわけではないと思う。

 おそらく私たちは互いに敬意を払えるような生き方をして来られたのだ。それは社会的地位とか経済的なものとは無縁な、もっと本質的な「自立」である。私たちはお話の世界を通して、読まなかった人よりは広い宇宙に生き、さまざまな世界を見、より大きな時間軸の中で生きてきた。「想像力」というたった一つの神の賜物だけをたよりに、足で歩ける以上の遠い国に出かけ、一生に出会える以上の人に出会い、時に人間の叡智を超えた三千世界の果てまでも旅をして、小さなからだの中にありとあらゆる宝物をつめこむことができた。それは100パーセントの確率で、「現実の人生」というたった一つの経験しかしたことのない子どもよりも幸せなことだったのであり、「心豊かな子ども」は肉体の成長とともにそのまま「心豊かなおとな」となった。そして「心豊かなおとな」という言葉はそのまま「自立した人間」をさすことともなるのだと思う。逆説的かもしれないが、自分の足で現実の世界を生きる歓びは、空想の世界を旅した者にしかわからないと思うからである。
 そしてまた自立した人間は他者からの信頼も勝ち得ることができるはずである。例えば自分が病気にかかって一人の医師に診てもらうとして、「僕は自分では何も考えず、他人のこともよく知らないけれど、親の言いなりに勉強して医者になりました」というのと、「僕は小さいころからいろいろな本を読み、たくさんの人に出会う中で、ずっと医者になるのを夢見てきました」というのとでは、どちらの医師に自分の命を預けたいと思うだろうか。それは学歴や治療の腕前とは無関係の、言葉にならない部分での信頼感によるものなのだと思う。

 おとなであれ子どもであれ、日本人に「今いちばん欲しいものは」という問いに自由に答えてもらうとしたら、上位にはまちがいなくドラえもんの四次元ポケット、あるいはどこでもドア、という回答があがってくることだろう。アニメの世界の想像上の産物。欲しいものが何でもでてくる、あるいは行きたいところにどこへでも行かれる…。
 今ふり返ると、文庫で育った私たちは、あの幸せな時代、幸せな空間の中で、知らないうちにこういう道具を現実のものとして持っていたのかもしれない。白い紙面に黒く印刷された「活字の行列」。色もなく、音もなく、目にうつくしい描線もほとんどない紙の束を開くだけで、私たちは何でもできたし、どこへでも行かれた。もしかしたらドラえもんの道具を持つこと以上にドラマチックでドラスティックな瞬間を生きてきたのかもしれない。

 おとなになっても「読書のよろこび」は変わらないでしょう、と言われるかもしれない。その問いに関しては、答えは「然り」でもあり「否」でもある。私は今も変わらず活字の向こうに広大な時間と空間とを見出す術を知っている。しかしそのことは触知できる現実の世界の幅を広げ、生きている私がより豊かに暮らせることを意味してはいるが、ほんとうに自分が別の人間になってしまうわけではなく、ほんとうにその世界にはいりこんで「自分」という原型を見失うわけでもない。「真実」の宝石に囲まれた子どもはいつしか「現実」をまっすぐに見つめられるおとなに脱皮し成長したのであり、もうもとの殻に戻ってこもるわけにはいかないしそのことを望みはしない。おとなになったウエンディは空を飛べなくなった代わりに愛する生身の家族を手に入れた。
 それと同時に、かつてともに「ネバーランド」を旅したことのあるともがらを見出し、信頼し合い幸せな人生を送る術もまた手に入れたのである。
(2005年11月「ネバーランド」Vol.5に掲載)