「ネバーランドより」文庫育ちの子どもたち

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 わたしは文庫を二つもっている。
 「ロールパン文庫」と「おにぎり文庫」である。

 こういうと、おそらくびっくりされることだろう。文庫をひとつやるだけでもたいへんなのに、二つも? そんなに本があるんですか? そんなに子どもが来るんですか?と。
 けれども、事実なのである。わたしは文庫を二つもっている。

 ふたつとも小さな文庫である。
 「ロールパン文庫」は六畳一間の空間。
 そして、「おにぎり文庫」は、たて二四センチ、横三二センチ、そして奥行き十二センチの空間である。そう、「おにぎり文庫」というのは、八冊の本がはいった小さな箱のことなのだ。その箱は、いつもロールパン文庫のまんなかの机の上にちょこんと置かれている。けれども、この「おにぎり」という名の箱入り文庫は、「ロールパン」の中にいながら、独自の活動を独自にいとなんでいる。そして、このミニサイズのかわいい文庫は、たった八冊ながら、三千冊以上の蔵書を誇るロールパン文庫に匹敵するパワーをもって活躍中なのである。

 「おにぎり文庫」は、ひとくちでいえば、「回覧文庫」である。箱の姿かたちは変わらないが、中の本は一ヶ月たつと去っていき、つぎの「おにぎり」がやってくる。つまり、毎月八冊の本がどんどん入れ替わっているのだ。本当のことをいうと、箱そのものも入れ替わっている。けれども、色もかたちも大きさも同じで、貼ってある「おにぎり文庫」の文字もかわらないものだから、おそらく子どもたちは、箱は同じで中身だけが入れ替わっていると思っていることだろう。

 ロールパン文庫が、公文教室とひとつづきになっていることは前回書いたが、毎月、教室のその月の最終日の夜になると、わたしは「おにぎり文庫」の箱を自転車の荷台に乗せて、となりの公文教室に行く。その教室は、自分のところにあったものを、さらにそのとなりの教室にもっていく。一方、わたしのところには、また別の教室から新しい「おにぎり文庫」がとどく。一年十二ヶ月、月末になると、百以上もの教室で、一斉バケツリレーのように、八冊の絵本が右から左に渡っていき、都内を一周する。つまり、単純計算で八百冊以上の絵本あるいは児童書が、都内のどこかで、毎月あたらしく子どもたちの手もとに届いていることになる。ひとつの教室あたりで考えると、毎月八冊ずつ本が届くということは、一年間では年間九十六冊。だまっていても、「おにぎり文庫」を読むだけで、年に百冊近く読書することになる。なぜ一ヶ月に八冊かというと、公文教室は原則として学習日が週二回。一ヶ月に八回ある。つまり、毎回教室に来るたびに一冊本を読むと、月に八冊読める、ということなのである。

 このシステムを最初に考案したのは、公文雑司が谷教室指導者の、土屋育子氏。基礎学力を身につけさせるのが公文式だけれども、「心のごはん」として、ぜひ子どもたちに読書をすすめたい、という思いからであった。子どもが本を読むためには、まず本のある環境をつくりたい。けれども、プリント学習が目的の公文教室には、何百冊も本を置くスペースがない。
 土屋氏が、安易に「図書館に行きなさい」と言わなかったのは、おそらく筆者が前回のこの欄で書いたようないきさつだったのだろうと思う。自ら時間をつくって図書室や図書館に行く子どもばかりではないし、そういう気持があっても、通うだけの時間もない。けれども、ほんとうは、目の前に本を置いてやれば、子どもは読むのだ。だから、つねにまわりに本がたくさんある環境が望ましい。だから、教室の中に本を置いてあげれば、子どもたちは、採点待ちなどの時間を有効利用して、少しでも多くの本を読むことができる。けれども、そのように本を常備するだけの資金と場所がない…。

 そのジレンマをみごとに解決したのが、「おにぎり文庫」である。わがロールパン文庫も、本を教室のとなりに置き、「ついで」の時間を読書に流入させることで、「本を読むヒマがない」という子どもの問題を解決したけれど、どこの公文教室でもそれだけの本が用意できるわけではないし、並べる空間があるわけでもない。けれども、多くの教室が一教室あたり八冊の本を用意し、それを、時間をずらしてまわしていけば…。一度に多くの本をどさっと置かなくても、子どもたちは順繰りに何十冊もの本を読むことができる。時間という一次元を足して空間の問題を解決した、ウルトラ四次元文庫システムである。

 多いところで百人も生徒をかかえる教室では、月に八冊では足りないのでは、という心配もあるかもしれないが、それも、公文教室の運営日の中で行なわれていることが逆に幸いして解決している。百人がいっせいに本を読みにくるわけではない。最低五時間の教室時間の中で、生徒はさみだれ式に、自分の都合のいい時間にやってくる。そして、プリント学習をする中で、採点を待ったり休憩したりする時間に、ふっとそこにすわりこんで、置いてある本をひらくのだ。私の教室には、今六十人強の生徒が在籍しているが、「おにぎり」の本が一冊もあいていない、という事態にはほとんどお目にかかったことがない。しかも、八冊という冊数は、足りないというよりは、むしろ功を奏している一面もある。あまり多く並べられても自分で選びとる力のない子どもたちにとっては、限られた八冊だけが「今月の本」として目の前に用意されていることが、かえって読書意欲がかりたてられるきっかけにもなっているのだ。私が勝手に「本の宝庫」と自負しているわがロールパン文庫の空間の中にいても、一ヶ月にこの「おにぎり」の八冊しか読まない、という子は確かに存在している。

 実をいうと、このシステムへの参加をすすめられたとき、私は、最初は深く考えずにお断りした。理由は、「うちには本は足りています」ということと、「月に一度、となりの教室に届けたり届けられたりが面倒」ということだった。けれども、そのとたん、公文教育研究会国語チームの伊丹美華局員にお叱りを受けた。
 「先生、そういう問題じゃないんです。おにぎり文庫の価値はやってみないとわかりません。子どもたちの読書環境のために、ぜひ参加してください。」
 そういわれただけでは、ピンとこなかったのは確かだったが、そこまで言われるならば、と、とりあえずやってみることにした。
 二〇〇四年六月、ロールパン文庫開始からちょうど一年後、「おにぎり文庫」の最初の八冊が届く。その瞬間から、私はこの箱入り文庫のものすごさを知ることになる。

 ロールパン文庫のまんなかには、大きな座卓がある。子どもたちは、たいていその座卓をぐるりと囲むようにして、あるいは床ににぺったりとすわりこみ自分のひざの上で、本を広げて読んでいる。その姿は、四十年前のムーシカ文庫の子どもたちと寸分変わらず、と言っていい。ムーシカ文庫も、二十年前に閉じられる最後の日まで、子どもの同じ姿を見つづけていたはずだ。今、ロールパン文庫で、二十一世紀の子どもたちが、まったく変わらない姿勢、変わらない表情で本を読んでいると知ったら、ムーシカ文庫創始者のいぬいとみこ先生、松永ふみ子先生はどんなによろこぶことだろうか。

 さて、そのロールパン文庫の座卓の上に、おにぎり文庫の箱を置いたとき。私が予想していたことばは、なにはともあれ、「これ、なあに?」だった。あるいは、「この本、どうするの?」とか。
 ところが、そこにいた子どもたちの第一声は、そろいもそろって、
 「これ、読んでいいの?」
 だった。やんちゃぼうずも、おしゃべりな女の子も、あるいは、それまでべつの本を読んでいた子どもたちさえも。
「ここにある本を読んだら、カードにシールを貼ってあげるわね。」
 といったとたん、子どもたちから歓声があがり、次々とかわいい手がのびてきて、ピンクのプラスチックの箱はたちまち空になった。

 けれども、正直、私は、そんな光景がいつまでも続くものか、と高をくくっていた。最初はものめずらしいだけよ。シールを貼ってもらう、なんていうモチベーションは長続きするわけないし。何箇所もの教室をめぐり歩いてきて擦り切れた本よりも、ロールパン文庫の本の方が喜ばれるに決まってる。まあ、飽きられたら、私も「おにぎり」をやめればいいわ。そしたら毎月届ける手間もはぶけるし…。と、そんなことくらいしか考えていなかった。

 けれども、あれからまる四年…おにぎり文庫の人気は、おとろえるどころか、すっかり定着し、子どもたちは、月が変わるごとに、新しい本の到着を楽しみにしている。八冊ずつ届く中には、当然ロールパン文庫にある本もある。けれども「おにぎり」の箱の中に入っていれば、子どもたちは、一度読んだ本でもまた最初から読み、本棚に立てられていたら抜き出すことのなかったであろう本も、あたりまえのように手にとる。となりの子どもが読み終わった本を、待ちかねたように次の子が読み始める。あるいは、二人、三人がいっしょになって、一冊の本を広げる。
 最初は、公文のプリントの採点待ちをするあいだ、「静かに待っていられないなら、おにぎり文庫でも読んでらっしゃい」などと言われて、仕方なく読み始めた子どもたちが、いつのまにか本の楽しさを知り、本の世界にのめりこんでいく。ムーシカ文庫の先生たちは、「子どもに読ませる」という状況を極度にきらっていたが、よほどいやがる子どもに強制でもしないかぎり、子どもたちは、ある程度の課題には、それほど抵抗は感じないものだと思う。おとなが、ひまつぶしのためにはわざわざやらないことでも、仕事だと思うと張り切ることがあるのと同じだ。私自身、子どものころに「課題図書」を読んだこともあれば、「夏休みに○冊読もう」などと目標を立てたこともある。それは楽しい記憶である。

 私の公文教室では、毎回九九や百人一首を音読するたびに、カードにシールを一枚貼ってあげている。色々なシールを集めるのをとても楽しみにしている子どももいれば、どうでもよさそうな子どももいるが、どちらのタイプの子どもも、九九の計算ができたときや、百人一首の歌を覚えたときは、自信がついて、とても嬉しそうな顔をする。それと同じで、「おにぎり文庫」のシールを集めることが読書の入り口になり、本を自分で読めるようになって喜んでいる子はたくさんいる。

 読書力もひとつの後天的な能力である。生れ落ちれば本能的に始めることではなく、単なる生理的な楽しみでもない。ピアノや水泳と同じ、どこかで努力して習得しなければならない一つの能力なのだ。だから、生まれもっての資質と、継続的な努力あるいは学習があわさって初めて自在にできるようになるものだと思う。自然に本を読み始め、黙っていてものめりこんでいく子がいるけれど、教えてもらって初めて読書の喜びを知る子もいる。最初は水がこわくて、プールに入るのを泣いていやがっていた子が徐々に水泳を覚えて、最後は選手になるほど好きになることがあるように、字やことばに興味がなかった子どもが、おとなの手ほどきを受けて本好きになることがあってもいい。「おにぎり文庫」はそんな子どもたちにとって、大切な第一歩になる。シールほしさに、絵本の絵だけ見て読んだふりをしたり、読むのがめんどうなので、お母さんが迎えにきたときに読んでもらっていた子どもが、いつのまにか自分でものがたりを読むようになり、その達成感からくる嬉しさと誇らしさと楽しさでいっぱいになる姿を、私はいくつも見てきている。

 ニ〇〇〇年七月に、十五の公文教室でスタートしたこのシステムは、わずか八年足らずで東京公文池袋事務局管轄百ニ十近くの教室に広がり、全国四十地区千八百団体にまで膨れ上がった。出版各社からすれば、一冊の本を百団体でまわされ、一万人近くの子どもで回し読みされては売上に響くと思われるかもしれないが、それは大きな間違いである。千八百の団体が八冊ずつの本を持っているということは、単純計算で、おにぎり文庫のシステムの存在によって一万四千四百冊の本が売れたことになる。しかも、一ヶ月に最低ニ十人から最高百人以上の子どもが全員手にとるとすると、当然のことながら、たびかさなる修繕を経た後でも、本は何回となく買いかえられなければならない。その消耗の速さたるや、個人消費や図書館の比ではない。

 さらに、土屋氏は、この活動を、公文教育研究会という枠からはなれてさらに広げるべく、ニ〇〇七年六月、NPO法人「おにぎり文庫の種」を立ち上げた。その結果、小児科医院、歯科医院、地域子育てセンターといった団体が加わるようになり、その数はますます増えつつある。また、YMCAやSVAその他の団体と連携し、ウクライナやカンボジアと絵本交流を果たし、文庫を世界に広げる足がかりともなっている。避難所や祭りでの読み聞かせ、劇公演など、活動の広がりはとどまるところを知らない。この運動を、土屋氏はじめ多くの協力者が、すべて手弁当で行なっているのである。私はその末端にいて、何のお手伝いもできていないが、このおにぎりの価値を、何かのかたちで社会に啓蒙できたらと思っている。このコラムがその一端となれば嬉しい。もし、この箱入り文庫を自分のお店、医院、団体などで活用してみたいと思われたら、ぜひNPO法人「おにぎり文庫の種」に連絡して頂きたい。

 では、「おにぎり文庫」の八冊があれば、ロールパン文庫の三千冊はいらないだろうか。小さいながらもスペースをとるこの文庫をぜんぶ「おにぎり」に寄付して回覧制にしてしまえば、場所も保管の手間もはぶけるし、何よりも、数十人の子どもに独占させずに、東京中の子どもでまわせばいいのではないだろうか、という考えも浮かんでくる。けれども、もちろんながら、ロールパン文庫にはロールパン文庫の役割がある。「おにぎり」という入り口からはいったこどもたちは、「ロールパン」という広い世界に出ていくのだ。「本が読める」という喜びを知った子どもたちは、「本を読みたい」という欲求にめざめ、もっと広い本の世界を渇望するようになる。そのときに目の前に広がる存在として、ロールパン文庫はいつも子どもたちのそばにいたいと思っている。わが家に「おにぎり文庫」が届くと知ったときに、伊丹局員がたいへん喜んで言ってくれた「パンとごはんの出会いですね」という言葉を忘れることなく、国境をこえた主食を、子どもたちに用意しつづけていきたいと思っている。
(2008年4月「ネバーランド」Vol.10に掲載)