「ネバーランドより」文庫育ちの子どもたち

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 二〇〇九年七月三日から五日、練馬区光が丘図書館の視聴覚室にて、「ねりま文庫連四十周年展」が開催された。

 準備は前年の暮れから始まっていたが、そのとき、わがロールパン文庫は、まだ文庫連には仮名していなかった。
 出展のお誘いがきたのは、「ムーシカ文庫」のほうだった。今はもう存在しない、一九八八年に閉じられた文庫である。児童文学者・いぬいとみこ先生と、翻訳家・松永ふみ子先生が主宰し、私が幼少期からおとなになるまで通いつづけた文庫だった。
 「文庫連四十周年展」では、かつて地域の読書活動に貢献した「かつての文庫」も出典できるよう、ブースを用意してくれることのことだった。私はその招待に応じ、それと同時に、自分のロールパン文庫も文庫連に加盟して、いっしょに出展することにした。

 「文庫連」は、正式には「ねりま地域文庫読書サークル連絡会」という。くわしい成り立ちは、小冊子『ねりまの文庫 — 四十年のあゆみ — 』をぜひご覧いただきたいのだが、一九六九年に発足した、全国初の文庫連絡会である。

 二〇〇九年三月。初めて打ち合わせの会に出席したとき、私は、連絡会誕生のときから中心となって尽力されている関日奈子氏の挨拶に心が打たれた。
 「今回の四十周年展では、『かつての文庫』のコーナーも作ります。昔の人が掘った井戸のおいしい水を、今の私たちがたくさん飲むことができているからです。ただ水をいただくだけでなく、井戸を掘った人のことを思い出す日といたしいましょう」
 そのことばに感動したのは、おそらく、そこにすわって聞いていた私が、「文庫主宰者」ではなく、その水を飲んで育った「かつての子ども」になっていたからなのだと思う。いぬい先生、松永先生に掘っていただいた井戸の水を存分に享受した、幸せな子どもに。

 井戸から湧き出た水は、大量の良質な本のみにとどまらなかった。
 もちろん、私たちは子ども時代、たくさんの本を読んで素晴らしい日々を過ごした。それだけでも文庫がそこにあったことは、僥倖であり、至福である。
 けれども、私は、それらの本を図書館で読んだのでもなく、友だちに借りたのでも親に買ってもらって読んだのでもないことに、今もこのうえない喜びを感じている。
 一冊の本と私とをつないでくれたもの……これが、偶然の出会いではなく、文庫の先生や世話人の方たちの手だったことに、言いつくせない感謝の気持ちをおぼえるのである。

 ムーシカ文庫の本棚にある本は、すべて私の「顔見知り」だった。本は私を知っていて、私を誘い、私によびかけ、私の小さかった手のなかに喜んで抱かれた。
 絵本は黄色、幼年童話は赤、科学の本は緑、高学年の読み物は茶色。四色のシールによって分類された本たちには、どれも子グマをかたどった「ムーシカ文庫」のハンコが押され、子どもたちをまねいていた。

 土曜日の午後、やわらかな西日に照らされた本棚を見上げ、いつか自分も茶色いシールの本を読むのだ、と胸ときめかせたあの日々……。
 いつしか背がのびて、高い段にも手が届くようになったときは、『ナルニア国ものがたり』や福音館古典童話シリーズが、みな「待っていたよ」と言って迎えてくれた。
 大学生や社会人になってから文庫を訪れた日は、ピッピやエルマーたちが、まるで昨日会った友達のように「やあ!」と再会を喜んでくれた。文庫のなかでは、時間までが自由に行き来していた。あんなに幸福だった場所はほかにない。

 そして、「人」との出会いは、先生方や世話人だけにとどまらなかった。
 二〇〇二年一月、いぬいとみ先生の葬儀の日、大森めぐみ教会に集まった文庫卒業生を、遺族の清水慎弥氏としげみ夫人が、一堂に集めてくださった。その日から、かつて同じ文庫で同じ本を読んだ子どもたちの横のつながりがうまれた。
 その二年後、二〇〇四年三月、ムーシカ文庫の活動記録をまとめた『ムーシカ文庫の伝言板』が出版された。そして、この本を見つけた全国各地の関係者や卒業生と、さらなる交わりが広がった。
 その後も、清水氏夫妻と、松永ふみ子先生の子息で翻訳家の松永太郎氏を中心に、さまざまな人々の集まる楽しい輪ができ、今もまだ続いている。ここに集まるのは、必ずしも実際にムーシカ文庫で子ども時代を過ごした人ばかりではない。けれども「ムーシカ・スピリット」とも呼ぶべき、おおいなる共感でつながった人々である。
 本が好きで、映画が好きで、おいしいものと愉快なおしゃべりが好きで、人を愛し、あらゆるものに恋をし、前向きで、力強く、老いても本物の「若さ」を失わない、真の子ども時代に裏打ちされたおとなたちの輪なのである。

 「ムーシカ・スピリット」は「文庫スピリット」である。その原点は、「おなじ本を読んで育った」ことに尽きる。
 「ねりま文庫四十周年展」に出展を決めたとき、私の呼びかけにたくさんの友人が手伝いに来てくれた。ムーシカの卒業生にかぎらず、文庫スピリットにあふれる人々である。そのなかには、村岡花子氏の孫で『アンのゆりかご』の著者である村岡恵理氏、『ムーシカ文庫の伝言板』を記事にとりあげてくれた元毎日新聞デスクで現在歌人・児童書作家・翻訳家でもある松村由利子氏のすがたもあった。

 「ねりま文庫四十周年展」は大盛況のうちに終わった。
 三日間とも、はるばる遠くからムーシカをなつかしんで足を運んでくださる方がたくさんいた。もちろん、清水氏夫妻、松永太郎氏もいらして、亡き先生方を偲び、かつての子どもたちの成長を喜んでくださった。
 山と積まれた展示品の「貸し出しカード」やアルバムは、他の文庫の方々や、訪れた一般の見学者にも感銘を与えたらしい。しばし佇んで、四十年前の子どもの筆跡に見入る姿がたくさん見られたのも嬉しかった。

 「本との出会い」「人との出会い」である、とつくづく思う。
 おさないころ、私は一冊のホントの出会い自体に満足していた。お話の世界にどっぷりつかることが読書の醍醐味であり、本を開いて閉じるまでの時間を別世界で過ごすことに最高の幸せを見出していた。
 けれども、ほんとうの「別世界」は空想の世界に遊ぶことだけではなかった。そこだけで終わってしまっては、「読書」という閉じた世界のなかでの自己満足だけであり、現実世界とお話の世界は断絶したままなのかもしれない。人生そのものから切り離された読書は、ある意味、不完全燃焼のようなものだ。自分の職場の学校でも、ほかに居場所がなくて図書室が現実逃避の場所になっている中高生の存在を思うと、いつも心がいたむ。  ほんとうの「本を読む幸せ」は、本の世界に逃げ込み、現実を見ないことではない。
 また、「本があれば幸せ」と、人とのつきあいを持たないっことでもない。
 むしろその逆なのであって、ほんとうに生きる喜びを教えてくれるものでなければ、本を読むことに何の意味があろうか。

 本が「印刷された紙のたば」でないことを知っている子どもは幸せである。
いぬい先生が「宏子ちゃんなら読めるわよ」と、『まりーちゃんとひつじ』の本を手渡してくれたあの時から、松永先生が「あなたにぴったりの本があるわよ」と『クローディアの秘密』をすすめてくれたあの日まで、本は、どの本も、数々の人の手を経て私ももとに届いた。
 だから、私もロールパン文庫に愛する本の数々を並べる。本屋で手軽に買える本、図書室でいくらでも読める本。だけど、「ここにあるから手にとる」子どもがひとりいれば、私はそのひとりのために、一冊の本を置く。そのひとりとその一冊の本が出会うために、小さな六畳一間の部屋に、何千冊もの本を置く。

 『ムーシカ文庫の伝言板』が出版され、それの編著をきっかけに、私がこの『ロールパン・ママの二言』を連載しはじめてから三年後の二〇〇七年の夏、私は、処女作
『いい夢ひとつおあずかり』を出版することができ、長年の夢であった児童書作者デビューを果たした。おかげさまで、現在、創作五冊、翻訳一冊の出版に至っている。
 そして、一冊本を出すたびに、お世話になったムーシカの関係者たちに声をかけていただく。
 「天国のいぬい先生、松永先生も、きっとよろいこんでいらっしゃることでしょう」と。
 私は感謝し、そのことばを素直に嬉しく思い、そして、本当に先生方も喜んでくださっていることを信じる。
 けれども、それは、自分がいぬい先生、松永先生とおなじ創作、翻訳の道であとを追うことになったからではない。私だけでなく、また、出版や図書館に関する仕事をしている卒業生だけでなく、今、自立して幸せに暮らしているすべての文庫生のことを喜んでくださっている、と信じているのである。
 それは、私がロールパン文庫で本をよむひとりひとりの子どもたちの幸せを願っているからである。
 私は、かれらが必ずしも文筆や読書に関係のある仕事に就くことを願っているわけではない。国語や作文が得意になってもらいたいわけでもない。
 お話の世界を知って心豊かに育った子どもたちが、いつか自分の考えを自分の言葉で人に伝えることができ、人を愛し、愛する人に理解され、自立した生活をし、社会に貢献するおとなになることを祈っているのである。

  *    *    *

 かつて、『やかまし村』にあこがれて、『赤毛のアン』に傾倒したひとりの女の子が、「好きな人のお嫁さんになりたい」と願い、「女の子のおかあさんになれますように」と祈った。
 二十代でそのふたつが実現したとき、女の子の人生の夢はすべてかなってしまった。
 その女の子は、その幸せに飽きることなく、生きることを楽しみながら、もうすぐ五十代をむかえようとしている。けれど、いまも、家具店や古物商の前を通るたびに、「ごたごた荘」にあるのとおなじたんすをさがしている。引出しが何百個もついていて、そのひとつひとつにかけがえのない宝物がはいっているたんす。

 たんすは永久に見つからないかもしれない。

 けれども、もしかしたら、女の子はすでにそんなたんすをもっているのだ。

 たぶん、たんすは、はじめからあったのだ。
 文庫というとくべつな空間のなかに。
(2010年5月「ネバーランド」Vol.13に掲載)